12年経って、すこしずつ
みなさんお久しぶりです。
ブログって書こうと思わないとなかなか書けないですね。長文を、しかも自分の思ったことを人に読んでもらう前提で書くのは勇気がいることだとつくづく思います。
人はみな間違えるものですが、それが何らかの差別や偏見を伴うものであったときに生じる問題の大きさを考えると、言葉を発する責任は重いですね。
でも他の人にも共有すべきことはたくさんあるように思います。今回は特にそれを強く思ったので、ブログを書く絶好の機会だと感じました。
私は2023/3/10から3/13までの三泊四日で、岩手、宮城、福島を巡る東北交流ツアーに参加してきました。
このツアーは被災経験のある人を含めた若い世代を対象として実施されました。東日本大震災で被災した地域について今一度学ぶために開催されたものです。主催はRSYという、名古屋の認定NPO法人です。RSYは災害時の支援やボランティア活動の講習、現在はウクライナからの避難者支援など、緊急事態に備えた活動や実際の支援活動などを行っています。
私は以前からRSYさんの活動に参加しており、何度かお手伝いをしてきました。というのも私自身が12年前に被災した経験があり、愛知に引っ越してきた時からなんとなく知っていたからです。
本格的にRSYさんと関わり始めたのは3年前くらいです。RSYさんが「被災して避難してきた、当時子供だった人たちの体験をきちんと記録に残したい」ということを知り、アンケート調査に参加したことがきっかけです。
今回のツアーでは、前段階としてツアーに求めることなどをRSYさんがヒアリングしてくださっていたので準備の時からずっと関わっていました。もちろん殆どの計画やツアーの準備などはRSYさんがしてくださったので、私たち参加者の希望を多く入れてくださって感謝しています。
私は参加するずっと前にヒアリングのとき「せっかく東北に行くなら、勉強してから行きたい」と伝えていて、それは他の参加者の方からも上がっていた声でした。
それを踏まえてRSYさんは3回にわたる勉強会を開催してくれました。特に、原発についての勉強会にとても力を入れてくれました。知識が偏らないように複数の大学や団体、そして異なる研究内容の方々を講師として呼んでくれたことで「原発事故に関しては専門家でも意見が一致してない部分も多くあるんだ」と知りました。
私は第一回と第二回の勉強会に参加して、基礎的な知識を学んでからツアーに行くことができました。知識を少しでも蓄えてから現地に行くことができたのは結果としてかなり良かったです。
実際に色んなものや場所を見る時、知識を思い出そうとする瞬間に冷静な視点になれる上に、知識や情報だけでは分からない部分にも気付くことができました。
ではここからツアーで記憶に残った場所や出来事を少しずつ書いていこうと思います。全部書くことはできないので、深く印象に残ったところだけ取り上げます(それだけ学びが多かった四日間でした)。
1日目は岩手県陸前高田市に行きました。私は陸前高田市を訪れるのが初めてで、その場所が元々どんな場所なのかよく知りません。
バスを降りて「東日本大震災津波伝承館」という建物の敷地で、陸前高田市の津波による被害などの説明を受けました。
海から吹いてきた風がとても強く、寒さで震えながら説明を受けました。
そう、今回の四日間では被災地をいくつか回りましたが岩手と宮城では風がとても強くて冷たかったんです。
東北って寒いなぁと久しぶりに帰って思っていたのですが、語り部の方々の話を聞いて分かったんですよね。「津波でおおかた全ての建物や植物が流されて、海と私たちの間を隔てるものが全然無いから」、海風が強いのだということが。
これって当たり前なんですよ、少し考えれば。でも実際に津波で全てが奪われた町で海沿いを歩きながら説明を聞かないと体感できない事実だなと思いました。これに気づいたとき、ここに来ないと分かんなかったんだなと自分で驚いてしまいました。
陸前高田市の海にも以前は海風をやわらげる存在がいました。それは沢山の松の木でした。
震災前は七万本の松があったのに生き残ったのは一本で、それは奇跡の松の木として知られているそうです。
近くで見るとものすごく大きい松の木なのですが、なんとなくこの遠さが好きなので写真はこれにします。
私たちは陸前高田市の語り部さんにお話を聞きながらこの海沿いを散歩して回ったのですが、その説明の前にまず行った場所が「津波発生時の避難経路の看板」だったのが印象に残っています。
真っ先に話すことが津波発生時の避難経路であること。本当に重要な出だしでした。
見どころとか、有名なスポットとか、そういうことの前に"まず知っておかないといけないこと"を教えてくれた語り部の方のおかげで参加者の中に「これから聞く話は過去でなく今と未来にも無関係でないことである」という緊張感を齎したように思います。
その語り部の方の引率で次に向かったのは「気仙中学校」でした。
気仙中学校は陸前高田市の震災遺構です。震災遺構は震災で建物は被害を受けているけど、次世代にも語り継ぐため、そして記憶からなくならないために取り壊さずに保存をすると決められた場所のことです。
気仙中学校は全員の避難ができて学校の中で人が亡くなることはなかったものの、津波で大きなダメージを受けました。しかし今も全員ヘルメットを被り、前もって届出を提出して職員さんの引率があれば中を見学することができるみたいです。
私は津波の被害に遭った建物の中に入れることがあるなんて想定していなかったのでこれから入りますと言われた時はとても驚きました。
ご覧の通り学校の中はめちゃくちゃで、津波で学校外から色んなものが流されてきていました。椅子が天井に引っかかったりドア枠が無かったり、海の方から流れてきた漁業用の網が引っ掛かったりしていました。
津波の被害を受けた場所は津波の脅威がありありと残っているのにとてもとても静かで、そのバランスがとても恐ろしかったです。
あまりに物体としての力があるので、普段芸術作品を制作したり鑑賞することの多い自分としては「もうこんなの見てしまったら人工物は勝てないよ」と一瞬思いました。でも建物や津波で流されてきたものは人工物なので、そう思うと震災遺構もまた、自然が生み出したもののひとつのようでありながら人間がそこで生きていたこの証明にもなる人工物と言えるような気がしました。
2日目は宮城県石巻市の南浜復興祈念公園や石巻市の震災遺構である門脇小学校や日和山に行きました。
まず同世代の語り部の方の引率で門脇小(津波で被害を受けた建物の中には入れないものの見学できるようになったいる)を見学したり、実際に彼が避難した時の避難経路をみんなで歩くなどの体験をしました。
避難経路を二種類通ったのですが、どちらも坂や階段が本当に疲れました。
明らかに、高齢者や足腰の強くない方、車椅子利用者の方にはあまりに過酷な道のりでした。
語り部の方が言っていた「この過酷な避難経路によって避難を諦めて流された方が大勢いるだろう」「避難経路が実際に震災に見舞われたときに若い人以外にも有効な経路なのか、などは常に考える必要がある問題」という話がとても印象に残りました。本当にそうだと思います。一人でも多くの命が助かるような避難経路作りはこの震災が多く起きる日本だからこそもっとちゃんと話し合われていくべきだろうと思いました。
この日の午後は石巻市の追悼式の準備ボランティアに参加しました。私たちは灯籠を並べたり、追悼式の時に行うバルーンリリース用のバルーンを手渡すお手伝いをしました。
私は昨年の3月に震災以来初めて、震災の時期に被災地で過ごしました。私にとってはあまり帰って来ようと思える時期では無かったのですが、10年以上経って少しずつ自分の被災体験と向き合えるようになってきたように感じます。
12年目の3.11はとうとう追悼式に参加するということで、前日からなんとなくぼーっとしていたように思います。
式の時間に近づくにつれ、追悼式のために色んなところからたくさんの人が南浜復興祈念公園を訪れていました。
献花をするために花束を持っている方がいっぱいいるのが印象に残っています。それに、喪服で訪れている方もたくさんいました。
私は黙祷の時、ただ全ての津波で亡くなった方のご冥福を祈っていました。黙祷が明けると少し心が落ち着きました。
バルーンリリースの時は、天に昇って行ってしまった人たちの命のように見えて寂しく感じました。でも私たちはあの日を忘れていないよ、という気持ちを風船が届けてくれるような気にもなりました。
そのあとは七ヶ浜という町に行きました。七ヶ浜で語り部の活動をしているFプロという方々の紙芝居を見ました。
もう12年も経った(まだ、かもしれない…)ので震災のことを知らない子供達がたくさんいます。そんな中でどのように震災の恐ろしさや防災の重要性を語り継ぐか、というのは重要な課題だと思います。私も石巻の小学6年生の子達に向けて一度語り部をしたことがあるのですが、上手く伝わったのかどうか少し心配でした。
一方でFプロさんは紙芝居という形をとっているから子供にも大人にもわかりやすく、語り部として素晴らしい取り組みだと思います。
RSYさんから前もってFプロの活動について書かれた本をいただいていたので、尚更活動のことを応援したいなと感じました。
原子力事故により街が住めなくなってしまった方々からは、街に人を戻したい、もしくは新たな人々に町に来てもらいたいという気持ちを強く感じました。それは何年も、そして残念ながら今も、風評被害を受け続けている県だからこそそのイメージを払拭したいという思いが強くなるのかもしれないと思いました。また、地元を大切にしてきた人が多い県であるようにも感じました。それなのに住み慣れた町を急に出て行かなければならなかった人たちのことを思うと苦しくなります。
4日目は川内村に行きました。
川内村で4月ごろからオープン予定の秋風舎というカフェギャラリーを訪れました。
秋風舎さんは土壁の古民家で、囲炉裏があったりして、本当に素敵な場所でした。陶芸をされている風夏さんという方が代表を務めており、手洗い場など、ところどころにある器が美しかったです。照明もこだわって選ばれているのがわかり、居心地の良い空間でした。
私の祖父母の家は震災前、土壁でした。
茅葺き屋根で、天井が暗くてよく見えないほど高く、上の大きな柱からたまに煤が落ちてきたり土壁には謎のお面が飾られていたりして大好きでした。
でも東日本大震災で土壁はボロボロに剥がれて、柱は曲がってしまい、これは危ないなということでリフォームしてしまいました。
だから風夏さんのお話しで「川内村にはまだ土壁を修理できる職人さんがいるからこの場所を作れた」と伺って、とてもうらやましかったです。
そしてこのツアーに一緒に参加していた弟がこっそり「なんか懐かしいね」って話しかけてきて、本当だね、懐かしいな、とじんわり嬉しくなりました。
この場所は町の内外の人々の交流の場として機能していく予定だそうです。きっと重要な場所になるだろうと思いました。今回、川内村を散策することはできなかったのですがまたきっと訪れたいと思いました。
時系列で、特に取り上げたかったことをいっぱい書いたのですが本当は全部書きたかったなと思います。1日目に陸前高田市で初めて漁船に乗って、想定外にめちゃくちゃワクワクした話とかね…!
そういえば、どこもご飯がおいしかったです。東北はやっぱりご飯が美味しいですね。お魚が多かったですが私は福島県のいちごが気に入りました。ゆうやけベリー、章姫という品種を食べましたがどちらもとっても美味しかったです。
福島県で生産されている食品をどんどん買っていきたいな、と思うくらい、福島の人たちは安全にどこよりも気を遣っていることをしみじみ知りました。
長くなりましたし、このくらいにしようかなと思います。
自分の無知さを知る日々でしたが、知ろうとしなければ見えなかった場所で自分たちの大事なものを守ろうとする方々に出会えて本当に良かったです。
過去の出来事を語り継ぎながらも常に見ているのは未来で、私もそうありたいと強く思いました。
「あの日を語るといつの間にか未来の話になります。」
Fプロについて書かれた書籍の中で印象に残っている一文です。今回出会った語り部の方々もみんな共通している点だったように思います。
私も何ができるのかな、取り敢えず考えたら知ることをやめないところからかもしれませんね。ツアーは終わりましたが東北のことは考え続けるだろうと思います。
もしこれを読んで興味が少しでも湧いた方は、いつか東北に行ってみてほしいなと思いました。ご飯目当てでもいいので、一度実際に東北へ行って伝承館などにもついでに行ってみてください。もしかしたら自分の中で変化することがあるかもしれません。






















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