《Dig your dreams.》と「みること」
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| あいちトリエンナーレ2019開催時の豊田市美術館 |
こんにちは。
私は昨日、あいち2022のプレイベントに行きました。僅かな不安を無視して手放しに、楽しみ!!!!と言うのは気が引けるのですが、キュレーター陣の話を聞いてやはりアートの祝祭というのは楽しみなものだなぁと思いました。
ところで、私はあいち2022の前身(?)である、あいちトリエンナーレ2019でボランティアをした経験があり、しかも、たまたま会期初日に会場運営に携わることができました。
あいトリ2019の初日は、豊田会場の豊田市駅下のシャッター街で迎えました。
しんかぞくさんの展示室がはじめての持ち場でした。
そして、次がトモトシ《Dig your dreams.》のスペースでした。
昨日のプレイベントのあと、この作品のことが頭に入ってきて、それからずっと考えています。
この作品のことが思い浮かんだ理由には心当たりがありました。
個人的な話ですが、最近、
「監視」ということをよく考えています。
近頃、作品の監視員という仕事のことや、ネトスト(...ネット、snsなどを用いてストーカー行為を行なったりして個人を監視すること)のことを思案することが多いのです。
さて、作品のことに話を戻します。
トモトシ《Dig your dreams.》は、豊田市駅の下のシャッター街の内の空き店舗の空間を全体的に使った作品です。
地面は採掘場のように掘り起こされていて、壁際には出土品のようにさまざまなオブジェがガラスケースに入れられて陳列されていました。
また、正面の壁には一面にこちら側を向いている監視カメラの写真がびっしりと貼られていました。
それだけではなく展示室内には監視カメラが設置されており、部屋の中に入ってる人は自分が写っているモニターを見ることになります。
それに加えて、この地面を掘り起こす豊田市民の様子を記録したドキュメンタリー調の記録映像のようなものがディスプレイに表示されています。
しかもこれも、監視カメラで撮られたようなアングルの映像です。
沢山の視線が混線する空間で、私は自分一人しか展示室にいない時は監視カメラに向かってピースしたりして展示室内にいました。あの映像って録画されてたのかなぁ、もしされてたらちょっと恥ずかしいなぁ、と今更思ったりしています。
そういえばこの作品のところにいた時、大変幸運なことにトモトシさんにお会いすることができました。私は当時学部2年生でアートのことも何も知りませんでした。それに初めて作家さんという存在にお会いした喜びで、記念に自撮りをお願いしたのですが快く撮ってくれました。それだけではなくて一ボランティアの自分にも丁寧に作品解説をしてくださって、優しかったなぁとしみじみ思います。
思い出話が多くなってしまったので、ここからは
見る|見られる
ことに焦点を当ててみます。
これまで男女のアートにおける扱いの違いとして女性は視線を受ける(見られる)もので、男性は見る側であるという構造がありました。
そんな構造も、もはや過去のものですが(そうであってほしい)、
実は見る、見られる、は基本的に両義的なことなのではないかと考えています。
例えばイワン・クラムスコイ《忘れえぬ女(ひと)》(1883)を前にした時、鑑賞者は絵の中の女性を見ます。しかし彼女もまたこちらを勝ち誇ったようにも憐れむようにも緊張した面持ちで見つめているようにもとれる視線で眺めています。
BunkamuraのHPにこの作品の写真が掲載されているので、気になる方は見てみてください。
▷https://www.bunkamura.co.jp/s/museum/exhibition/18_russia.html
さてこの両義的な見る、見られるという二分出来ない事柄に更なる疑問を投げかけるトモトシさんの《Dig your dreams.》ですが、もうどこにもこの作品は存在しないため、豊田市駅の下を訪れたとて、鑑賞することが出来ません。
今思ったのですが、視線が幾重にも交差する空間って、鑑賞したことなかったら多分かなり怖い空間だと思われるんじゃないでしょうか。
第一印象はワクワクする感じでした。お宝が眠っていた場所なのかな?みたいな、そんな印象でした。
というのも、私は壁の写真は少し経ってから全部監視カメラだと気づいたのです。
入ってすぐ、私の場合は掘り起こされてぼこぼこした足元の風景に関心が向いたので、壁は見ていませんでした。だからカメラがびっしりこちらを向いていることに気づいた時はかなりドキッとしました。
カメラの写真がこちら向いていたり監視カメラに写っていることを確認できるので、自分に対して向けられる無遠慮な視線をいやがおうにも感じられるのが面白いなぁと今になって思います。しかもそれが性別や年齢に関係なく、ここ(小さい空き店舗の中の空間、世界)に入った人すべてに注がれるのがまた興味深いですね。
先ほども書きましたが、私たちは展示室内に置かれている画面を見て、過去の人の動きや会話を監視カメラで撮影されたであろう映像を見ることができます。
過去の人々を監視する者になっていて、その様子はさらに壁のカメラや常に撮影中の監視カメラに監視されていて…
相互監視社会の凝縮って感じがしてきました。怖いね。
監視されるのって窮屈ですよね。下手なことは出来ない。
だから、私のやることなんて貴方には関係ないんだからほっといてくれ〜と思ったりすると思うのですが、
それって実は社会(つまりこの作品の場合は展示されている空き店舗)から一歩出れば、逃れられるんですよ。
でもよくよく考えたら、その展示のスペースの外にはまた新たな不特定多数の他者(街を行く人々)の視線に晒されるわけであって……
いくつもの社会から出ていこうとしても結局別の視線の只中に身を置くしかないみたいな、そういうことを実感させられます。
3年経って、この作品の面白みや攻撃性の高さをジワジワと感じているところです。
あいち2022は一体どんな作品に出会えるんでしょうね。楽しみです。
トモトシさんの《Dig your dreams.》の紹介ページはこちらです。
▷https://aichitriennale2010-2019.jp/2019/artwork/T01.html
ではでは、また。



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